CRMは多数決ではない——権威勾配は急すぎても平坦すぎても事故る
「アンケートで決めましょう」の落とし穴 #
訓練計画でも装備選定でも、組織で何かを決めるとき「まず全員にアンケートを取りましょう」という提案は、いかにも公平で穏当に聞こえます。ところが実際にやってみると、決まった後にかえって不満が残ることがある。意見を言う機会をつくったのに、です。
これは気のせいではなく、組織心理学の分野で古くから確認されている現象です。そして航空の世界では、同じ構造の問題を CRM(Crew Resource Management) が40年以上前から扱ってきました。
本稿から数回に分けて、「意見を集めること」と「決めること」の関係を CRM の枠組みで整理していきます。結論を先に言えば、こうなります。
CRMは、機長が民主的になるための訓練ではない。
CRMはなぜ生まれたか #
CRM の直接の起点は、1979年に NASA が開催したワークショップ「Resource Management on the Flightdeck」です。1970年代後半、機体の信頼性は着実に向上していたにもかかわらず、事故は減りませんでした。原因を掘り下げると、機械の故障ではなく、コックピット内の意思疎通・役割分担・判断のプロセスに問題が集中していることが見えてきた。
象徴的な事例が二つあります。
一つは1977年3月のテネリフェ空港衝突事故です。濃霧のロス・ロデオス空港で、KLM の B747 が離陸許可を得ないまま滑走を開始し、滑走路上を走行中のパンナム機に衝突。死者583名という、民間航空史上最悪の事故になりました。注目すべきは、KLM機の航空機関士が離陸滑走の直前に「パンナム機はまだ滑走路上にいるのではないか」という趣旨の確認を口にしていることです。機長がそれを否定すると、機関士はそれ以上追及しませんでした。
もう一つは1978年12月のユナイテッド航空173便です。ポートランド上空で降着装置の表示に異常が出た機体が、確認と着陸準備に時間を費やすうちに燃料を使い果たし、住宅地に墜落しました。ここでも、燃料残量に懸念を持っていた乗員はいましたが、その懸念が機長の判断を動かすほど明確には伝わっていません。NTSB は事故報告書で、機長が下位乗員からの進言を受け入れなかったことと、航空機関士のアサーション(主張)の不足を、原因として名指ししています。
どちらも、情報はコックピット内に存在していた。存在していたのに、決定に届かなかった。この診断を受けて、ユナイテッド航空が1981年に業界初の本格的な訓練プログラムを導入します。これが今日の CRM の原型です(CRMの全体像や5つのスキルについてはCRM/AMRMとは何かで解説しています)。
権威勾配という概念 #
この「届かなさ」を説明する概念として、Elwyn Edwards が提唱し、Frank Hawkins が広めたのが権威勾配(authority gradient / trans-cockpit authority gradient)です。
コックピット内の実質的な力関係の傾きを勾配に見立てたもので、これが急峻であるほど、下位者から上位者への情報伝達は起こりにくくなります。1982年1月のエア・フロリダ90便では、副操縦士が離陸滑走中にエンジン計器の指示のおかしさを繰り返し口にしていますが、いずれも決定的な進言の形にはならず、機長は離陸を継続してポトマック川に墜落しました。急峻な勾配の典型例として、いまも CRM 教育で必ず引かれる事例です。
ここまでの話だけを聞くと、対策は単純に思えます。勾配を緩やかにすればいい、機長は権限を振りかざさず、全員の意見を聞けばいい、と。
実際、CRM の導入初期にはそう受け取られました。そしてそれこそが、CRM が現場から最も強い反発を受けた原因になります。1990年代の総括では、当時の CRM 訓練が現役パイロットから「charm school(お上品な礼儀作法教室)」と揶揄され、「自分の人格を操作しようとするものだ」と反発されていたことが記録されています。機長から権限を取り上げる訓練だ、という誤解が広まったのです。
誤解ではあったのですが、まったくの言いがかりでもありませんでした。勾配を平坦にすればよい、という発想には、実際に穴があるからです。
平坦すぎる勾配で起きたこと #
1972年12月のイースタン航空401便を見てみます。
マイアミへの着陸進入中、ノーズギアの位置表示灯が点灯しませんでした。機長、副操縦士、航空機関士の三名は、電球そのものの不良を疑い、表示灯ユニットの取り外しと確認に取り掛かります。会社の整備担当者まで加わって、コックピットの全員が同じ小さな問題に向き合いました。
この作業の途中で、オートパイロットが何らかのきっかけで高度保持から外れます。機体はごく緩やかに降下を始めました。高度警報音は鳴ったものの、誰も反応していません。三名とも、表示灯を見ていたからです。機体はエバーグレーズの湿地に激突し、176名中101名が死亡しました。
この事故で、権威勾配は急峻ではありませんでした。むしろ逆です。全員が対等に、同じ問題について自由に意見を出し合っていた。しかし誰も飛行機を飛ばしていなかった。
NTSB は原因として、乗員が飛行経路の監視を怠ったことと、コックピット内の「不適切な役割分担」を挙げています。役割が溶けてなくなり、「これは自分の担当だ」と言える人がいなくなった状態です。
Edwards や Hawkins のもともとの議論も、実は「勾配はゼロが理想」とは言っていません。急峻すぎれば情報が上がらず、平坦すぎれば決定と責任の所在が消える。適切な勾配がある、というのが本来の主張でした。
現在の整理 #
こうした経緯を経て、CRM は1990年代以降、次のような形に落ち着きます。
- 情報の収集は開放的に。 誰でも、いつでも、懸念を口に出せる。
- 決定は機長が単独で行う。 合議でも多数決でもない。
- 決定の理由は共有する。 なぜそう判断したかを言葉にする。
三つ目まで含めて初めて機能する、という点が重要です。そして冒頭のアンケートの話に戻ると、組織の意思決定で不満が溜まる典型的なパターンは、一つ目だけをやって二つ目と三つ目を欠いた状態、あるいは一つ目をやったふりをして実際には何も反映しない状態です。
次回は、この「聞くだけ聞いて扱わない」がなぜ単なる不満で済まず、安全上の実害になるのかを見ていきます。訓練で叩き込んだアサーションが、たった一度の黙殺で無効化される、という話です。
第2回を公開しました:聞くだけ聞いて扱わない——アサーション訓練を無効化するもの
まとめ #
- CRM の起点は1979年 NASA のワークショップ「Resource Management on the Flightdeck」。テネリフェ(1977)とユナイテッド173便(1978)で「情報はあったのに決定に届かなかった」ことが診断され、ユナイテッド航空が1981年に業界初の本格プログラムを導入した。
- 権威勾配(Edwards 提唱、Hawkins が普及)が急峻だと下から上へ情報が上がらない。典型がエア・フロリダ90便(1982)。
- しかし平坦すぎても事故る。イースタン401便(1972)は全員が対等に同じ問題を議論した結果、誰も飛行機を飛ばしていなかった(176名中101名死亡)。NTSB は「不適切な役割分担」を指摘。
- 導入初期の CRM は「charm school」と揶揄された。機長から権限を取り上げる訓練という誤解が原因。
- 現在の整理は、①情報収集は開放的に ②決定は機長が単独で ③決定の理由を共有する。③まで含めて初めて機能する。
- CRMは、機長が民主的になるための訓練ではない。
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本稿は事故調査報告書および CRM 研究の一般的な整理に基づいています。事故の詳細については各国の公式報告書を参照してください。
出典
- Helmreich, R. L., Merritt, A. C., & Wilhelm, J. A. “The Evolution of Crew Resource Management Training in Commercial Aviation”(1979年NASAワークショップ、ユナイテッド航空1981年の初導入、“charm school” 批判の記述) https://www.faa.gov/sites/faa.gov/files/2022-11/crmhistory.pdf
- NTSB, Aircraft Accident Report: United Airlines, Inc., Douglas DC-8-54, N8082U, Portland, Oregon, December 28, 1978(NTSB-AAR-79-7)
- FAA Lessons Learned “Eastern Air Lines Flight 401, Lockheed L-1011, N310EA”(乗員の飛行経路監視の欠如と不適切な役割分担) https://www.faa.gov/lessons_learned/transport_airplane/accidents/N310EA
- Hawkins, F. H. Human Factors in Flight(権威勾配/trans-cockpit authority gradient)
画像出典:Wikimedia Commons “Captain and first officier in 737-800” by Eric Salard(CC BY-SA 2.0)。イメージ画像(機長と副操縦士)。
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