ヘリから消火薬剤を撒くのは「新しい話」ではない——昭和の標準、平成の衰退、大船渡後の再検討

ヘリから消火薬剤を撒くのは「新しい話」ではない——昭和の標準、平成の衰退、大船渡後の再検討

消防庁は2026年9月25日、林野火災で消火剤を使った空中消火の検証を、岩手・栃木・山梨・長野・愛知・愛媛・福岡の7か所で行うと発表しました。

消火性能のないダミー剤(消火剤と同じ粉末で、水と混ぜると粘度が出るもの)を使い、

  • 水とダミー剤の混合
  • ヘリ用消火バケットへの送液
  • ヘリからの空中散布

までを実際にやってみて、運用上の課題を洗い出す、という内容です。

「ゲル状の消火剤をヘリから撒く」と聞くと新しい取り組みに見えます。ですが、ヘリから薬剤を撒くこと自体は、昭和の時代にはむしろ標準的な手法でした。それがいったん廃れ、大船渡市の林野火災をきっかけに見直されています。

今回はその歴史を、消防庁の意見聴取会の資料を中心にたどります。


① まず、消火薬剤には3つの種類がある #

消防庁は、米国農務省の区分にならって、林野火災用の消火薬剤を3つに整理しています。

種別主成分効き方主な使い方
延焼抑制剤
(Long-term retardants)
リン酸塩類水の冷却効果に加え、リン酸塩類が燃焼を抑える。水が蒸発しても効果が残るので、数日前から撒ける主に間接消火(燃える前の場所に撒いて延焼を止める)
泡・浸潤剤
(Class A foams)
界面活性剤水の表面張力を下げて燃焼物にしみ込ませ、冷却効果を高める主に直接消火(燃えているところに撒く)
ゲル剤
(Water enhancers)
増粘剤粘りのあるゲルが燃焼物に付着し、冷却効果を高める。表面を覆って窒息・遮熱効果も主に直接消火

(消防庁「林野火災用消火薬剤について」令和7年10月7日 資料3-1より)

ポイントは、乾いても効き続けるのは延焼抑制剤だけだということです。泡やゲルは、水の効き目を高めるもので、乾けば効果は短時間で終わります。米国で固定翼機が赤い薬剤を火の前に帯状に撒いているのが、この延焼抑制剤です。

ヘリからの消火薬剤散布 —— 盛衰の年表 消防庁資料・東京消防庁 消防科学研究所報・鳥取大学ほかをもとに作図 1972 昭和47 V-107から延焼抑制剤を散布する実験(科学技術庁の特別研究) 1975 昭和50 消防庁通知「林野火災空中消火の運用について」 東京消防庁がヘリで水ゲルを散布する実験 1983 昭和58 岩手の林野火災で自衛隊ヘリが3日間に約300回、薬剤約6トンを散布 平成 消防防災ヘリが増え、水を短い間隔で繰り返し散水する方式が主流に 2003 平成15 消防庁・林野庁の報告書「最近の林野火災で薬剤を使う例は少ない」 2013〜16 平成25〜28 消防庁の研究制度でゲルパック方式を開発(鳥取大学・イルカカレッジ) 2025.2 令和7 大船渡市林野火災。残火処理でバケットに泡・浸潤剤を混ぜて散布 2025.10 消防庁「林野火災用消火薬剤の評価方法等に関する意見聴取会」始まる 2025.12 通知「林野火災の残火処理等における消火薬剤の活用について」 2026.4〜5 令和8 大槌町林野火災の残火処理で薬剤を使い、記録と情報共有を実施 2026.6 「国内における消火薬剤の評価方法」取りまとめ 2026.9〜11 7か所でダミー剤を使ったヘリ散布の検証 2027 令和9 一般的な活用方法を示す予定(空中消火を含む) 薬剤散布が標準 水が主流に ゲルの研究 大船渡後の再検討 検証・今後

② 昭和:薬剤散布が「標準」だった時代 #

1972年:大型ヘリからの散布実験 #

消防庁の資料には、科学技術庁の昭和47年度「林野火災の消火に関する特別研究」が紹介されています。

実際の山林に高さ2.5m程度の杉を1m間隔で差し込んだ模型林をつくり、大型ヘリ V-107(チヌークの前身)から延焼抑制剤を撒いて、火がどこで止まるかを見た実験です。

項目内容
散布量2,500L
散布高度・速度45m・55km/h
薬剤リン酸アンモニウム15%+増粘剤1%
散布幅・長さ20〜30m・70〜80m
結果0.5L/㎡の線に入ると延焼速度が極端に遅くなり、0.5〜1L/㎡の間で延焼が止まった

1975年:消防庁通知は「薬剤散布」が前提だった #

昭和50年の消防庁通知「林野火災空中消火の運用について」は、自衛隊ヘリを要請して消火薬剤を散布することを前提にしたものでした。

消防庁・林野庁の平成15年の報告書は、この通知をこう紹介しています。

ヘリコプターが現地に到着するまでの間に補給基地に空中消火用資機材及び薬剤を搬入するとともに、補給作業に従事する人員を配属して補給作業を円滑に実施できる体制を整えておくものとする

また、この通知は間接消火を主体にするとしていました。火の前に薬剤で延焼を止める線をつくる、という考え方です。

1983年:岩手で3日間に約300回 #

実績として、昭和58年4月に岩手県内の各地で発生した林野火災では、

  • 自衛隊ヘリが3日間で約300回散布
  • 消火薬剤 計約6トン(薬剤と水の混合水 約240トン)

と報告されています(岩手県の災害報告書。消防庁資料3-1より)。

消防庁自身も、「昭和50年頃には、林野火災の消火活動において、ヘリコプターからの消火薬剤の散布が推奨されており、当時、林野火災においては頻繁に消火薬剤が使用されていたと考えられる」と整理しています。


③ 同じころ、東京消防庁はヘリで「水ゲル」を試していた #

ゲル状の消火剤にも、昭和の前例があります。

東京消防庁の消防科学研究所報 13号(昭和51年)に、「ヘリコプターによる消火及び消火剤散布実験結果について」という報告が載っています。きっかけは林野火災ではなく、大地震で市街地に火災が多発し、消防車が動けない場合への備えでした。

予備実験本実験
実施日昭和50年8月29日昭和50年12月10日
機体アルエットⅢアルエットⅢ、SA330F(ピューマ)
積載水または水ゲル 400L水・水ゲルほか 400L/800L
散布高度20m・30m50m・100m(ホバリング、20kt飛行)

結果から、いまの議論にもつながる点を拾うと、

  • 水ゲルは水より散布範囲が狭く、まとまって落ちる(粘度が高いため)
  • 大型の SA330F は、散布した液が5mほど後方に流れてから落ちる軌跡を描き、目標から外れやすかった
  • 廃材を燃やした消火実験では、ヘリが近づくとダウンウォッシュで炎が横に流れ、放射熱がかえって増えた

同じ研究所報には、水ゲルは水に比べて再燃しにくいという室内実験(昭和51年2月)の結果も載っています。


④ なぜ使われなくなったのか #

消防庁の資料は、理由を2つ挙げています。

消防防災ヘリコプターの整備が進んだことにより多数のヘリコプターによる短い間隔で繰り返し散水が可能となったこと、従来のリン酸系の延焼抑制剤は混合作業など地上作業の負担が大きかったことから、次第に使用される機会が減っていったものと考えられる。

平成15年の報告書は、地上作業の負担をもう少し具体的に書いています。

  • 薬剤はリン酸アンモニウム系の粉末が多く、使うときは補給基地で溶かして、増粘剤や着色剤を加えてから散布装置に詰める必要があった
  • 使うときの濃度が10〜20%と高いので、補給場所まで大量の原材料を運び込む必要がある
  • 粉末は湿気を吸って固まることがある

そのうえで、「最近の林野火災においては薬剤を使用する例は少なくなっている」「多数のヘリコプターで自己給水と散水を頻繁に繰り返すことにより、薬剤使用を上回る消火効果を上げている」としています。

戦術も変わりました。昭和50年の通知は間接消火が主体でしたが、平成15年の時点では「ほとんどが直接消火法を主体として実施」されていた、と報告書は書いています。薬剤で線を引くより、ヘリの数で燃えているところに水を当て続けるほうが効いた、ということです。


⑤ 平成〜:ゲルパックという試み #

水を撒くヘリが主流になってからも、ゲルの研究は続いていました。

平成25年度から4年間、消防庁の競争的資金「消防防災科学技術研究推進制度」で、鳥取大学(研究代表:松原雄平教授)と株式会社イルカカレッジ(鳥取県米子市)が「ゲルパック」方式を開発しています。

  • 水を通す小さな袋にゲル化剤の粉末を入れておき、バケットに水と一緒に入れると、飛んでいる約5分の間に袋の中でゲル化する
  • 固まりで落ちるので、高い高度から落としても霧にならずに地上まで届く

というのが狙いです。

時期協力内容
2015年2月鳥取県消防防災航空隊ほか高度30〜50mから投下。移動しながらの「スライド投下」で、一列に並べた5つの火災模型を消火(鳥取大学発表)
2016年2月鳥取県東部広域行政管理組合・鳥取県消防防災航空隊ホバリングで地上100・200・300ftから投下。ゲルパック3,000個・水500Lの散布範囲は約50・100・150㎡。比較で200ftから水だけを撒くと霧散し、地上に跡が残らなかった
時期の記載なし長野県消防防災航空隊ゲルパック4,000個・水600Lを、対地100ft・25ktで移動しながら投下し、長さ25mの延焼防止帯。同じ条件の水は上空で霧散

(2016年以降の数値はイルカカレッジのウェブサイトによる)

2017年11月には、インドネシアの政府関係者を招いた実演も行われています(JICAの中小企業海外展開支援事業の案件化調査。じゃかるた新聞による)。

いずれも開発者側の実験報告であり、第三者による比較評価ではない点には注意が要ります。それでも、「高度を取ると水は届かない、固めれば届く」という問題意識は、昭和50年の東京消防庁の実験とつながっています。


⑥ 大船渡が流れを変えた #

2025年2月26日に覚知された岩手県大船渡市の林野火災は、林野被害約3,370ha、死者1人、住家90棟を含む建物被害を出しました。

消防庁の資料によると、空中消火の主力はやはり水でした。

  • 延焼拡大期:消防防災ヘリは水、自衛隊ヘリは海水を散布
  • 延焼が収まった後の残火処理:消防防災ヘリは一部で泡消火薬剤(濃度1%程度)をバケット内で混合して散布。自衛隊ヘリは海水

2月27日〜3月15日の合計は、消防防災ヘリが1,007回・約499トン、自衛隊ヘリが1,296回・約6,480トンです。

地上隊も、残火処理で背負い式水のうや消防車に薬剤を混ぜて使いました。活動隊員へのアンケートでは、

  • 少量の水で消火効果が得られ、隊員の負担軽減につながった

という声の一方で、

  • 散水効率の低下、環境への影響、機体・資機材の洗浄が必要

という意見も出ています。

2025年8月の「大船渡市林野火災を踏まえた消防防災対策のあり方に関する検討会報告書」は、水が限られる場合には薬剤が有効な場合もあるとしたうえで、

  • まず残火処理など散布場所が限られる場面の活用要領を令和8年の林野火災に向けて明確にする
  • それ以外の一般的な活用は、環境影響の評価方法とともに令和9年の林野火災に向けて示す
  • 空中消火では、直接消火と間接消火を組み合わせた場合の空域設定のあり方や、水源付近への散布の回避など、航空機特有の検討も必要

と整理しました。


⑦ 2025〜2026年の動き #

「基準がない」ところから #

消防庁の資料は、出発点をこう書いています。

国内においては、林野火災を想定した消火薬剤の基準や評価方法、認証制度は存在しない。 林野火災時において山林等に消火薬剤を散布することについて、健康・環境影響のための基準や規制(ガイドラインや法令等)は設けられていない。

昭和の散布は、この「基準がない」状態のまま行われていたことになります。米国では、農務省森林局が3種類それぞれに延焼抑制性能・物性・健康環境影響の基準を設け、製品ごとに認証しています。水域から約90m(300ft)離して撒く、といったガイドラインもあります。

主な経過 #

時期動き
2025年10月〜「林野火災用消火薬剤の評価方法等に関する意見聴取会」(2026年6月の第4回まで)
2025年12月16日通知「林野火災の残火処理等における消火薬剤の活用について」。第2回意見聴取会で示された案では、河川・湖沼の付近を避ける、散布範囲を事前に決める、風下に隊員がいないことを確認する、製品名・場所・量を記録し、水道事業者・保健所・環境部局に共有する、など
2026年4〜5月岩手県大槌町の林野火災の残火処理で、背負い式水のうに延焼抑制剤(2製品・原液約120L)と泡・浸潤剤(2製品・約75L)を使用。通知に沿って記録・情報共有
2026年6月30日「国内における消火薬剤の評価方法について」取りまとめ。メーカーが試験結果を報告し、消防庁のホームページに製品リストとして掲載する仕組み。延焼抑制の効果はリン酸二アンモニウムと比較した結果を併記。米国の禁止物質に化審法の第一種特定化学物質を加え、水生毒性試験に甲殻類・藻類を追加
2026年9〜11月7か所でダミー剤を使ったヘリ散布の検証

7か所の検証日程(消防庁報道資料 令和8年9月25日時点) #

県日時場所
岩手県9月30日〜10月1日(予備日含む)釜石市 平田公園多目的広場
長野県10月2日 9〜12時山ノ内町 よませ温泉スキー場
栃木県10月6日塩谷町 西古屋ダム近辺
山梨県10月20日富士川町 殿原スポーツ公園
福岡県11月2日嘉麻市 福岡県消防学校
愛媛県11月6日松山市 北条スポーツセンター内野球場周辺
愛知県調整中調整中

雨天やヘリの災害出動で中止したり、混合・送液だけで散布はしない場合もあるとされています。長野県の発表では、延焼抑制剤の調製・混合、ポンプでの送液、ヘリへの積載、散布という流れを確認する内容です。


⑧ 昭和と今、何が違うのか #

ここからは私の見方です。

撒くこと自体は、昭和への「回帰」に近いと思います。粉末のリン酸系延焼抑制剤を水に溶かしてヘリで撒く——やろうとしていることの骨格は、昭和50年の通知とほとんど同じです。

違うのは、

  • 評価の基準があること。昭和は基準のないまま撒いていましたが、今回は効果と健康・環境影響を試験し、製品を公表する仕組みを先につくっています
  • 撒くのが消防防災ヘリであること。昭和の前提は自衛隊ヘリの要請でした
  • 散布の記録と情報共有が手順に入っていること

そして、変わっていない課題もあります。昭和の薬剤散布が廃れた大きな理由は、地上での混合作業の負担でした。今回の検証が、散布そのものより混合・送液に重点を置いているのは、その歴史を踏まえたものだと読めます。

操縦する側から見ると、気になるのは次のような点です。

  • バケット・機体の洗浄:大船渡のアンケートでも挙がっています。薬剤を積んだ後の整備の手間と、次の任務への影響
  • 散布の「見え方」:評価方法では着色は必須ではありません。一方で、防火帯をつくる用途ではヘリから撒いた場所が見えることが重要だ、という議論が意見聴取会で出ています
  • 空域の整理:延焼抑制剤で火の前に線を引く間接消火と、燃えているところへの直接消火を同時に行うなら、どの機体がどこを飛ぶかの整理が要ります。報告書がわざわざ「空域設定のあり方」に触れているのはそのためでしょう
  • 水源の回避:ヘリは水源から汲んで撒くのが基本です。薬剤を混ぜるなら、汲む場所と撒いてはいけない場所の両方を意識することになります

一度は「水のほうが効く」と結論が出た方法です。水が近くにない、ヘリの数が足りない、火の勢いが強い——そういう条件で、水では届かないところを薬剤で補う位置づけになるのだと思います。


まとめ #

時代何が起きたか
昭和40〜50年代延焼抑制剤の散布実験(1972)、消防庁通知で薬剤散布・間接消火が前提(1975)、東京消防庁の水ゲル散布実験(1975)
昭和58年岩手で自衛隊ヘリが3日間・約300回散布
平成消防防災ヘリの整備で水の反復散水・直接消火が主流。薬剤は混合の負担が大きく廃れる
平成25〜28年ゲルパック方式の研究開発
令和7年(大船渡)残火処理で泡消火薬剤をバケットで混合。基準がないことが課題に
令和7〜8年意見聴取会、残火処理の通知、評価方法の取りまとめ、7か所でヘリ散布の検証
令和9年(予定)空中消火を含む一般的な活用方法を示す

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出典 #

本記事は2026年10月2日時点の公表資料に基づきます。

ヒーロー画像:「Fire Retardant Mixing Plant and Helicopter Operation」by Lori Iverson / USFWS Mountain Prairie(Wikimedia Commons / パブリックドメイン)。米国の林野火災で、粉末の延焼抑制剤を水と混ぜる混合設備(左の赤いタンク)と、ディップタンクから吸い上げるS-64スカイクレーン。掲載にあたり切り抜きとリサイズを行いました。

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