群馬県防災ヘリ「はるな」の事故報告書を読み直す——空間識失調と、引き返しの判断

群馬県防災ヘリ「はるな」の事故報告書を読み直す——空間識失調と、引き返しの判断

2018年8月10日、群馬県防災航空隊のベル412EP「はるな」(JA200G)が、群馬県吾妻郡中之条町の山の斜面に衝突しました。搭乗していた9名全員が亡くなっています。

運輸安全委員会の事故調査報告書(AA2020-1)は2020年2月27日に公表されました。あれから時間が経ちましたが、同じ山岳を飛ぶ側の人間として、報告書に何が書かれていたかを読み直しておきたいと思います。

なお、報告書の冒頭には次の一文があります。本記事もこの立場に立ちます。

本報告書の調査は(略)事故の防止及び被害の軽減に寄与することを目的として行われたものであり、事故の責任を問うために行われたものではない

個人の責任や、その後の司法手続には立ち入りません。報告書が指摘した事実と再発防止策だけを整理します。

何が起きたか #

飛行の目的は、翌8月11日に開設される「ぐんま県境稜線トレイル」の、救助活動に備えた危険箇所の事前調査でした。8月9日に飛ぶ計画でしたが台風13号の影響で飛べず、翌10日の実施となっています。

時刻経過
09時14分ごろ群馬ヘリポート離陸
09時32分ごろ吾妻場外着陸
09時36分ごろ消防隊員5名が搭乗し離陸(計9名)
09時41分37秒鳥居峠の手前で右旋回、トレイル東側を飛行開始
09時54分35秒トレイル西側を飛行開始
09時57分49秒渋峠上空を通過
09時59分42秒南西方向へ右旋回
10時00分45秒北西方向へ右旋回
10時01分12秒横手山北東約2km付近の山の斜面に衝突

搭乗者は、機長、確認整備士A、航空隊長、航空隊員、そして吾妻広域消防本部の消防隊員5名。機体は大破しましたが、火災は発生していません

計画では、最低安全高度である対地150m以上を飛行することになっていました。

認定された原因 #

報告書の記述をそのまま引きます。

本事故は、同機が登山道の調査のため山岳地域を飛行中、雲の多い空域に進入して視界が悪化し地表を継続的に視認できなくなったことにより、機長が空間識失調に陥り機体の姿勢を維持するための適切な操縦を行えなくなったため、山の斜面に衝突したものと考えられる。

視界が悪化して地表を継続的に視認できなくなったことについては、有視界気象状態を維持することが困難となる中で、引き返しの判断が遅れ、飛行を継続したことによるものと考えられる。

機体にもエンジンにも異常は認められていません。分析の章でも、機体・エンジンの状況は問題なしとされています。

米国(設計国)とカナダ(エンジンの設計製造国・機体の製造国)の調査官も参加し、デジタル飛行制御計算機はアメリカ国内の製造者の工場まで持ち込んで詳細調査が行われました。さらに飛行訓練装置を使ったシミュレーションも実施されています。それだけ調べたうえで、機体には問題がなかった。

教訓1:計器飛行訓練が、着任後ゼロだった #

報告書を読んでいて、私が最も重いと感じた記述です。

機長は、計器飛行証明は有しておらず、型式限定を取得した時点での同型式機でのフードを使用した基本計器飛行訓練の時間は、1時間30分であり、防災航空隊着任後は、基本計器飛行訓練は実施されていなかった

着任後、ゼロ。天候が変わりやすい山岳を日常的に飛ぶ部隊で、外が見えなくなったときに計器へ切り替える訓練が行われていませんでした。

報告書は、こう続けます。

天候が変わりやすい山岳地域を飛行する防災航空隊の操縦士には、空間識失調対策を徹底し、常日頃から有視界飛行においては単に水平線だけを頼りに飛行するのではなく、姿勢指示器や高度計をクロスチェックして、自機の姿勢を確認しながら飛行する習慣と、基本的な計器による飛行に切り替える判断力を身につけることが重要である

ここは実務として噛み締めたいところです。「VFRだから計器は見なくていい」ではない。普段から姿勢指示器と高度計を見る習慣がなければ、いざというときに切り替えられない。切り替えるという判断そのものが、訓練されていなければ出てこないからです。

教訓2:自動操縦装置は、装備されていた #

ベル412EPにはデュアル・デジタル自動操縦装置(AFCS)が装備されています。報告書によれば、姿勢制御機能を持つ2つの独立したオートパイロット系統からなり、ATT(姿勢保持)モードSAS(安定性増大)モードで運用できます。

そして飛行規程には、ATTモードについてこう書かれています。

ATTモードでの運用は、計器気象状態での飛行又は操縦士が完全な自動(手放し)操縦を望むときのためのものである

まさにこの状況のための装備が、機体に載っていました。

運輸安全委員会の勧告にも、この点が明記されています。

必要な場合は直ちに基本的な計器による飛行に切り替えるとともに、自動飛行装置を有している場合には適切に使用すること等の具体的な空間識失調予防策及び対処策を日頃から身につけておく必要がある

装備があることと、使えることは別です。日頃から身につけておく——報告書がわざわざこう書いているのは、そこに距離があったからだと読めます。

教訓3:「GPS装置に依存せず」という一文 #

再発防止策の項に、印象的な表現があります。

山岳地域を飛行する場合は、天候の急変及び地域的な気象特性を考慮して周囲の変化を予測し、GPS装置に依存せず、有視界気象状態を維持して早期に引き返す判断をするよう機会あるごとに周知することが重要

「GPS装置に依存せず」とわざわざ書かれている点に注目したいと思います。

同機には地図表示装置、携帯用GPS受信機、動態管理システム、気象レーダーが載っていました。自分がどこにいるかは分かる。しかしそれは、外が見えていることとは別です。

位置が分かるという安心感が、「もう少し行けるのではないか」という判断につながる——GPSが普及した現在だからこそ、この一文は効いてきます。知っていることと、見えていることを混同しない。

教訓4:操縦士2名体制 #

報告書は独立した項(3.10「消防防災ヘリコプターの操縦士2名体制の有効性について」)を立てて、こう述べています。

操縦交代による空間識失調からの早期対処を可能とし、搭載機器の効果的な使用によるワークロードを軽減し、適切な意思決定を行う効果が期待できることから、消防防災ヘリコプターの操縦士は2名体制が望ましい

事故機は、右操縦席に機長、左操縦席に確認整備士Aが着座していました。操縦を代われる人は乗っていません。

空間識失調の怖さは、陥った本人には自覚しにくいことにあります。だからこそ「代われる人がいる」ことの意味が大きい。当ブログで兵庫県のドクターヘリ2パイロット制を取り上げましたが、その議論の源流のひとつがここにあります。

もっとも、2名体制には操縦士の絶対数という壁があります。望ましいと分かっていても、人がいなければ組めない。この事故の教訓と、いまの人材問題は、同じところで繋がっています。

報告書が記録した、もうひとつの事実 #

安全に関わる事実として、報告書はこう記録しています。

機長及び確認整備士Aは、ヘルメットを装着せず、ヘッドセットを着用していた。客室の座席は取り外され、客室に搭乗していた7名は、床に座ってシートベルト等は使用していなかった

機体は大破したものの、火災は発生しませんでした。それでも全員が亡くなっています。

多人数を運ぶために座席を外すのは実務上あることですし、これを原因として指摘した記述ではありません。ただ、衝撃に対する保護が乏しい状態だったことは、事実として書き残されています。読み飛ばせない一行だと思います。

国土交通大臣への勧告 #

運輸安全委員会は、設置法26条1項に基づき国土交通大臣に勧告を出しました。報告書のなかでも重い措置です。

国土交通省航空局は、捜索救難活動を行う航空機の操縦士に対し、空間識失調の危険性について注意喚起するとともに、空間識失調に陥らないための具体的な予防策及び万一空間識失調に陥った場合にその状況から離脱するための対処策について周知すること

宛先が「群馬県」ではなく、捜索救難活動を行う操縦士全体に向けられている点が重要です。これは一つの隊の問題ではない、という判断が表れています。

その理由も報告書に書かれています。

消防防災、警察等の捜索救難活動を行う航空機の操縦士は、任務の特性上、気象状況が変化しやすく、かつ局所的な気象の予測を行うことが困難な山岳地域を飛行することが多い

パイロットとして思うこと #

報告書を通読して、いちばん考えさせられたのはこの飛行が救助ではなかったことです。

翌日開設されるトレイルの、危険箇所の事前調査。人命が懸かった緊急出動ではありません。しかも前日は台風の影響で飛べず、開設前日にずれ込んでいる。

急ぐ理由は、外形的にはなかったはずです。それでも引き返しの判断は遅れました。

「今日やっておかないと」という程度の圧力でも、判断は流される。緊急出動なら誰もが警戒します。しかし下見や調査のような飛行では、警戒が緩む。そして山の天気は、任務の緊急度とは無関係に悪化します。

以前、時間圧下の意思決定について書いたとき、中止基準は現場に着く前に決めておくという話をしました。この事故は、その必要性を最も重い形で示していると思います。どうなったら引き返すかを、飛ぶ前に言葉にしておく。それが唯一、現場での迷いを断ち切れる方法です。

そして計器飛行訓練の話は、装備や制度以前の問題として残ります。普段から姿勢指示器を見ているか。外が見えているときこそ、見る習慣があるか。これは今日から自分で確かめられることです。

改めて、亡くなられた9名の方々のご冥福をお祈りいたします。

まとめ #

  • 2018年8月10日、群馬県防災航空隊のベル412EP(JA200G)が中之条町横手山北東約2kmの斜面に衝突、搭乗9名全員が死亡。機体は大破したが火災はなし。報告書はAA2020-1として2020年2月27日公表。
  • 目的は翌日開設のトレイルの危険箇所の事前調査。緊急出動ではなかった。離陸から衝突まで約47分
  • 原因は空間識失調。「雲の多い空域に進入して視界が悪化し地表を継続的に視認できなくなった」ことによる。その背景は引き返しの判断の遅れ機体・エンジンに異常なし(米加の調査官が参加し、DFCCは米国の工場で詳細調査、シミュレーションも実施)。
  • 機長は計器飛行証明を有さず、型式限定取得時のフード訓練1時間30分のみ。防災航空隊着任後の基本計器飛行訓練は実施されていなかった。報告書は「水平線だけを頼りにせず、姿勢指示器や高度計をクロスチェックする習慣」を求めている。
  • AFCS(自動操縦装置)は装備されていた。ATT(姿勢保持)モードは飛行規程上「計器気象状態での飛行」のためのもの。勧告も「自動飛行装置を有している場合には適切に使用」「日頃から身につけておく」と明記。
  • 再発防止策に「GPS装置に依存せず、有視界気象状態を維持して早期に引き返す判断」という一文。位置が分かることと、外が見えていることは別
  • 報告書は独立項で操縦士2名体制が望ましいと結論(操縦交代による早期対処、ワークロード軽減、適切な意思決定)。事故機の左席は確認整備士で、操縦を代われる人はいなかった。
  • 事実として、乗員はヘルメット未装着(ヘッドセットのみ)、客室は座席が外され7名は床でシートベルト等なしと記録されている。
  • 国土交通大臣への勧告は「群馬県」ではなく捜索救難活動を行う操縦士全体に向けられた。理由は「任務の特性上、山岳地域を飛行することが多い」から。

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本記事は、運輸安全委員会の航空事故調査報告書(AA2020-1)の記述に基づき、現役ヘリコプターパイロットの視点から再発防止の観点を整理したものです。報告書自身が明記しているとおり、事故調査は責任を問うために行われたものではなく、本記事も個人の責任や司法手続には立ち入りません。詳細は必ず報告書原文をご参照ください。


出典

画像出典:Wikimedia Commons “Bell 412EP JA6412 Shin Nihon Helicopter Co., Ltd.” by ORANGE 737(CC0)。イメージ画像(同型式のベル412EP。事故機ではありません)。

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